[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
綿菓子
って、夢のある食べ物だと思うわけだ。
甘くてフワフワして、あたかも雲を食ったらこんな感じかという
メルヘンさ・・・
綿菓子食えば、気分はアルプスの少女ハイジというか・・・
ハイジは、雲を食っているのではなく、乗っているのだが。
(↑ それも違う)
ところが、子供の頃、屋台などで「綿菓子食べたい」と言いそうになると、
何故か、母の態度が冷たかった。
「綿菓子なんか食べんやろー?あんなんしょうもない。
スプーン1杯の砂糖ふくらましてるだけや」
と、にべもない。
まるで、「綿菓子食べたい」と言うことが、日本男児の恥ででもあるような
気にさせられ、なかなか言い出せなかったものである。
その謎が解けた気がしたのは、ずっと後になってからであった。
それは、かれこれ半世紀以上前の話・・・
さすがの母も、まだ小学校に上がるか上がらないかぐらいの
児童ないし幼児だった。
母は、家庭の事情で、親戚の家に預けられて育った、
ちょっとかわいそうな子供だった。
その、幼き母が、なけなしの小遣いを握り締めて行った縁日。
あれにしようか、これにしようか、さんざん迷った挙句に買った綿菓子を
わくわくしながら食おうとしたその瞬間、
さっと一陣の風が吹き抜けた。
風にさらわれて飛んでいった綿菓子は、よりによって、ドブに落ちた。
母の手には、綿菓子のからまっていた割り箸だけが残った。
親戚の家で遠慮して育っているため、もう一度小遣いをくださいとは
言えない母。
子供心に諦めをつけ、家に帰って、かわいがってくれたおばあさん
(本当の祖母ではないが)に、訴えた。
「おばあさん、せっかく綿菓子買うたのに、風に飛ばされてしもたわ」
「あれまー」
「わたし、もう、綿菓子は買わへんわ」
「ほーか」
そのときそばにいたら、もう1個綿菓子を買ってあげたのに
と、その話を聞いた私は、思った。